生きる誓い - 1/3

 「だからさー、ここで重心を少し前にして……」
 「でもそうすると、システムがモーションを認知しなくなるんじゃないか?」
 「そんなの気合いでどーにかすんの!」
 「そんな大雑把な……」
 漆黒の剣と藍紫の剣をぶんぶん振り回し語らい合うキリトとユウキ。そんな二人の声を完全にシャットダウンして、アスナは学年末テストに向けて勉強に明け暮れていた。
 二月も中旬に差し掛かり、シベリア寒気団はようやく冬も本番だといわんばかりに日本中を冷却している。仮想世界にまでシベリア寒気団の魔の手は届かないはずだが、22層森の家周辺でも、アインクラッドのなかで季節感を再現するらしくしんしんと雪が積もっていた。

 「――ユウキと旅行に行って来たらどうだ?」
 そう提案したのは和人だった。ユウキとの激戦の次の日、学校で何食わぬ顔でそう言われた明日奈はぽかんと開いた口がふさがらなかった。
 なぜなら明日奈もまた、ユウキと遠出してみたい、と漠然とではあるが考えていたのだ。VRワールドでは色んな世界を旅してきた彼女であるが、せっかく現実世界とコネクトできたのだからいろんな場所に連れて行ってあげたい。
 ――でも、まさか。キリト君も同じ風に考えていてくれていたなんて。
 自然と顔がほころぶ。和人はそれには気づかず続けた。
 「もちろん、リズやシリカも誘ってさ。シノンとかスグは学校が違うから、なかなか予定が合わせずらいかもしれないけど……」
 プローブも少しは遠隔調整が可能だし、充電を切れないようにバッテリーの予備とかもっていけば平気だと思うよ、と言い終わらないうちに明日奈は和人の腕に抱き付いた。
 「おわっ!」
 「ありがとう、キリト君! 大好き!」
 そんな明日奈の満面の笑みに、和人はわずかに頬を赤く染めて頷いた。

 それから、予定が合った里香、珪子、直葉、ユイ、そしてユウキと京都に行くことを、みんなの希望と財布の中身から決定した。京都にした理由の一つに、結城本家に泊まれるというのが大きかった。なんせ学生としては馬鹿にならない宿代を浮かせられるのだ。
 そこで明日奈は、たった数泊の旅行でも母と結城本家にきちんと胸を張れるようにしておきたいと考えた。母との約束である<今まで以上の成績を取る>ことを完璧に達成する。これは、京都旅行の最低必要条件なのである。
 二月も後半。アスナは毎日、森の家でみんなが遊ぶ中ひたすら勉強に励んでいた。勉強は明らかに一人のほうが効率がいいことは、中学時代から成績優秀であるアスナにはわかっていた。しかしユウキの姿を見ていないとある恐怖がアスナを襲う。
 もしもユウキが、わたしが見てない間にひっそりと、この世からいなくなってしまったら――……。
 そんなことはあるはずない。これからユウキは何年も生きて、だんだんと病気も治って、輝かしい未来を手に掴むはず。だからそんな嫌な想像は、したくなかった。想像したら、本当にそうなってしまいそうで、アスナはなるべくその恐怖を表に出さないようにしていた。そう思っていても、頭のどこかで警鐘がなり続ける。倉橋から聞いた《ターミナル・ケア》という言葉が脳裏をよぎる。
 ――なるべく、ユウキといる時間を増やそう。
 ユウキが病気なんかに負けるはずはない。彼女はいまやALOのトッププレイヤーなのだ。病魔ごときに遅れをとるはずがあろうか。
 そう思っているのに、ユウキと過ごす時間を優先するわたしは、いったい何なんだろう……。
 矛盾する胸の内に蓋をして、アスナは立ち上がった。もうすぐお昼だ。アスナも一度ログアウトして昼食を摂らなければならないが、その前にユウキたちにご飯を作らねばなるまい。
 辺りを見回すと、勉強に飽きたらしいキリト以外はみんな机に向かっていた。まあ、キリト/和人はあれで効率がいい。旧SAO時代のレベリングの要領で、期末テストもなんなく乗り切ってしまうだろう。
 「――みんな、そろそろお昼よ。いったん休憩にしましょう」
 アスナの鶴の一声で、一気に空気が弛緩した。リズベットがごりごりと肩甲骨を回す。
 「ぐあー、疲れた……」
 「おーにーちゃん!ごーはーん出来たよー!」
 兄を呼び戻すためにグッドタイミングでログインしてきたリーファが元気よくキリトの元に駆け寄る。
 「へいへい……っと。じゃあみんな、またあとでな」
 しゅぅん、と一瞬にして二人のアバターが消え去る。
 ばいばーい!と元気よく手を振るユウキを見てアスナは微笑んだ。
 ユウキたちは今やすっかりキリトたちと打ち解けている。最初のころは妙にカンが良すぎるキリトのことを警戒していた節があったが、二人はアルブヘイムを代表する最強剣士なのだ。剣の話になると、びっくりするほど話が合い、すぐに意気投合した。また、プローブのことについても、ユウキは遠慮することなくバンバン改善点を申付けてくれるのでありがたいと、和人は以前呟いていた。
 ――このありふれた日常が、ずっと続きますように……。
 幾度となく胸で繰り返してきた言葉だった。心の裡で静かに今日も、そう祈る。
 「アースナ!」
 メタリックピンクの髪の毛が視界に映る。アスナは驚いて少々のけぞった。
 「わっ!び、びっくりした~……。なに、リズ?」
 「何じゃないわよ!ぼーっとしちゃって……」
 「どうしたんですか、アスナさん?」
 「あ……いや、なんでもないの」
 シリカとリズベットに訝し気に詰め寄られて、アスナは横を向く。リズベットはその様子に、一瞬迷うそぶりを見せたあと、すぐにいたずら顔になって囁いた。
 「なになに? もしかして、キリトと仲良くしてるユウキに焼きもちー?」
 「え!?」
 シリカが「はう!」と叫んで口に手を当てた。慌ててアスナは否定する。
 「ち、ちがうよー! ゆ、ユウキがキリト君に気があるはずないじゃない! ……たぶん」
 ぶんぶん首を振ると、リズベットはちらりとユウキを一瞥して、
 「あはは、まあそれはそうかもね。でも、キリトの方がユウキに嫉妬してるかもよ?」
 「え?」
 「だってアスナ、ユウキに結婚まで申し込まれたんでしょ~。あの朴念仁のキリトだって、アスナにそこまで言う相手は警戒するわよ!」
 「な……!」
 開いた口が塞がらないとはこのことだ。
 キリトがユウキに嫉妬……!?
 思わず想像してしまい、慌ててそれを掻き消す。日本で同性婚は認められてないし、とか、そもそもユウキの冗談だし、とか、そもそも誰から聞いたんだとリズベットに問い詰める前に、ユウキが答えとともに素晴らしい敏捷力でアスナにダイブした。
 「ボクが言っちゃったー! ごめんね、アスナ!」
 「わっ! ユウキ!」
 アスナは両腕でじゃれつくユウキを抱えるように支えた。ごめんね、と言いながら全く謝意がない声音に苦笑する。するとユウキは燦然と輝くアメジスト色の瞳で、子犬のようにアスナを見つめた。
 「でも、キリトがそんな風に思ってたらなんだか申し訳ないなあ。なんか、アスナ取っちゃったみたいで……」
 しゅんとするユウキに、アスナは慈愛に満ちた笑みを投げかけ、ぽんぽんと優しく肩をたたいてやった。
 「平気だよ。キリト君むしろすごくユウキのこと考えてくれてるみたいだし」
 そう言ってアスナは、思い出せる限りキリトの優しい言動を語って聞かせる。
 「このまえなんかねー、キリト君と帰る日にユウキと寄りたいとこがあるって言ったら、じゃあ俺はいいからリズたち誘って女子だけで行ってきなよって言ってくれたりー。統一チャンピオンの時も、試合時間被ったらユウキの方応援してやれって言ってくれたり。今だって京都旅行にシウネーたちも一緒に行けたらなって、試験勉強の傍ら、通信プローブの情報を複数のクライアントに送れるように色々実験してくれたり……って…………」
 リズベットはアスナの話に茫然としていた。シリカは目をぱちくりさせている。ユウキも珍しく苦笑いで固まっている。
 アスナも自分で話しておきながら、引きつった笑みを隠せないでいた。
 ――なんてことだ。
 あまりにもさわやかにこなすものだから、こうして言語化するまで気づかなかったが……。
 ――キリト君、出来すぎ!!
 少々気が利きすぎな恋人に、アスナは改めて驚嘆した。
 リズベットがしばしの硬直をパリィして唸る。
 「キリトのやつ、裏でそんな気遣いを回していやがったとは…………」
 シリカは目をキラキラさせて
 「はうぅ……、さすがです。キリトさん……!」
 ユウキも感心したように
 「うわー、キリトにあとでお礼言わなきゃだなぁー」
 と言ってうんうん頷いていた。
 思えばユウキと出会ってから、キリトはよくアスナのサポートに回ってくれた。そのおかげで、27層のボスモンスターを倒すことができたし、現実世界でユウキと会うことができた。さすがキリト君。その一言に尽きる。
 ――だけど、だけど。
 自分の恋人のカンの良さと優秀さと優しさに感激しつつも、アスナは一種の不安を覚えていた。
 ユウキと出来るだけ長く過ごそうと決めたので、必然的にキリトと過ごす時間は短くなっている。
 なのに、キリトは嫉妬も甘えも見せない。いつも通り飄々としていた。
 ――これは、どうなのか。恋人として。
 別にアスナがいてもいなくても、キリトの日常に支障はないということか。
 「キリト君……」
 はあとアスナがため息をついた。ものすごく自分勝手な感情だが、なんだか悔しい。もっともキリトがポーカーフェイスを装ってる可能性もあることはあるが、彼は元来隠し事が苦手だ。すぐ顔に出る。アスナはキリトの隠し事に関しては敏い自信があった。
 そんなアスナのやきもきした状態にリズベットはにやにやして、
 「もしかしたらアスナと一緒にいるより楽しいコトが見つかった、とか……」
 なんて言うものだから、アスナは大いに焦った。
 「や、やめてよう!大体、キリト君はゲームとPCにしか興味ないもん!」
 「それはそれでどうなの……」
 「じゃああれですか、ただ単にキリトさんが特に気にしてないってだけなんですか?むむぅ、思ってたよりキリトさんアスナさんにべったりってわけでもないみたいですね……」
 「し、シリカちゃんまで!」
 「いやー、キリトはアスナのこと普通に大好きだと思うよー?」
 見透かしたようにあっさりとユウキが言い切ってくれるものだから、アスナは少しばかり驚いた。一応、ユウキはこの中では新参者である。まあ彼女は周囲に全く壁を作らないので、まるで竹馬の友のようにみんなと仲良くしているが。
 だが、さっきの言い方は、まるでアスナとキリトの大恋愛をアインクラッドのころから見てきたような確信めいた響きがあった。
 「えぇ……そうかな……」
 「うん!絶対そう!」
 千切れんばかりに首を縦に振るユウキ。
 「いや、それはまあ、そうなんだけどね……」
 「わかりきってはいるんですけどね……」
 はあと嘆息するシリカとリズベット。
 「……なんの話だ?」
 首を傾げる黒衣の少年。

 「う、う、うわあぁぁぁぁ!!」
 「き、き、キリトさん!!」
 「き、キリト君!?」

 皆が驚きの声をあげる中、ユウキだけが平然とキリトの突然の帰還を受け入れた。
 「やあ、キリト。実は今さぁー」
 「や、やぁ! いいよ! ユウキ、言わなくて!」
 「アスナ、ぶつからなきゃ伝わらないこともあるんだよ!」
 「い、今は伝わらなくていいの! ってひゃあ!」
 アスナが面白いくらい狼狽してまで隠そうとする話題に興味をひかれたのか、キリトは自らの手でアスナの口を抑えて、先を促した。
 「ユウキ、どうぞ」
 「はいよっ!」
 「んんーっ……!」
 アスナの抵抗むなしく、ユウキはさっさとキリトにことの顛末を話してしまった。
 「ユウキに……嫉妬?俺が?……なんで?」
 「それはですねー、ボクがアスナとずっと一緒にいるからかなっ!」
 「べ、べつにいいじゃん……仲良しなのはいいことじゃん……」
 「ほらぁ! こーゆーやつなのよ、こいつは!」
 「アスナ、やっぱアスナから言ったほうがいいよー」
 「う、うん……」
 一歩たじろぐキリト。一歩詰め寄るアスナ。
 その修羅場的状況をユウキはワクワクしながら、シリカとリズベットはバクバクしながら見守っていた。
 「き、キリト君、さ……最近、その……」
 「うん……」
 「ほんとに、わたしのわがままなんだけど、会うの、減ってるじゃない?」
 「う、うん……」
 「それなのに、キリト君がいつも通りだから。わたしなんか、キリト君にとっては所詮そのくらいなのかなって、ちょっと心配になって……ううー」
 「ああ……それは……」
 するとキリトは本当に――本当に一瞬だけ、ユウキを一瞥した。おそらくシリカやリズベットは気づかなかっただろう。夜のように吸い込まれそうな瞳が、悲しみに揺蕩うような気がしたのはアスナの錯覚だろうか。
 「なによう!はっきり言いなさいよ!」
 リズベットに詰め寄られると、キリトはいつもの調子を取り戻して、ひえっと小さく身を竦めた。
 「だ、だからさ……お、俺は、アスナが……大好きだから……アスナのことを、尊重したいというか……俺としては、なるべくそれを叶えて差し上げたいというか……それだけで結構大満足というか……」
 しどろもどろになりながらもそう答え、顔を赤らめるキリト。
 「キリト君……!」
 アスナは感動した。こんなにも自分を思ってくれる人がいる。なんて幸せなことなんだろう。
 わたしは、こんなにも身近な幸せに気づけない愚か者だ。
 公衆の面前でピンク色オーラ全開の二人。誰もが近寄り難くなるその空間に、当たってもくだけないユウキが参戦した。
 「へーっ! じゃあ二人はお互いの考えてることがわかるの!?」
 「まあ、なんとなくは……ああ、でも一回完全にシンクロした時があったな……」
 「ええーっ、すごい!どーゆーとき!?」
 「うーんと、あれは確か……」
 ユウキは興味津々といった様子で、キリトとアスナの思い出話に耳を傾けた。アスナは顔を真っ赤に染め上げ、「キリト君恥ずかしいよう!」と言いながらもなんやかんやで嬉しそうである。シリカとリズベットだけが、大量のシュガークラフトを食べたような胸やけをおこしていた。
 「あー……ハイハイ、わかりました」
 「結局キリトさんとアスナさんがらぶらぶだったっていうことですよね……」
 げんなりとした顔でお互いの心境を労い合った。その様子をちょうどログインしてきたシノンが呆れ顔で見守っていた。
 「なに? この状況……」
 「シノン! 慰めて!」
 「このままじゃ砂糖菓子になっちゃいますよぅ!」
 やり場のない複雑なストレスを発散すべく、シノンに飛びつく二人。シノンはいきなりのことに面食らったようだったが、さすがはクールな冥界の女王。瞬く間に冷静さを取り戻し、慈悲もなくしがみつく二人を振り落とした。
 「やだ、いけない! こんなことしてる場合じゃなかった! お昼作ってこないと!」
 いつの間にかしっかりものモードに切り替わったアスナは、床にへばるシリカとリズベットを介抱しながら食卓の準備を始める。
 後には、キリトとユウキが残った。
 「――ねぇ、キリト」
 ユウキは、キリトを見ていなかった。アメジスト色のきれいな瞳はどこまでも透き通っていて、ただただ遠くを見つめている。その双眸の奥に深い哀惜の念を感じて、キリトは眉を顰めた。
 「……なんだ?」
 「……やっぱいいや!」
 ユウキは即座にいつもの華やかな笑顔を見せ、ハイテンションでアスナたちの輪に突入していった。

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