三月、下旬。
アルブヘイムの夜空は、都会に住んでいたら絶対に拝めないほどの満天の星空だ。濃紺の天蓋に、きらきらといくつも輝く電子の辰星。
24層パナレーゼの小島に、濃紫のロングヘアを揺らす、一人の少女の姿があった。
「――ユウキ」
黒衣の剣士の呼びかけに、闇妖精はゆっくりと振り向き、片頬を持ち上げて笑った。
「ごめんねぇ、わざわざこんなとこまで呼び出しちゃって」
「いや、それはいいんだけど」
「京都旅行、すっごく楽しかったよ」
「ああ、アスナからも聞いたよ。良かった。シウネーやジュンたちも連れていけてさ」
「うん。――あのね」
キリトはわずかな声色の変化を読み取り、ユウキの穏やかで堂々とした佇まいに向きなおった。
「ボク、君に言い忘れてたことがあるんだ」
「俺に?」
「キリト、君は……」
躊躇いを見せるユウキ。キリトは黙って先を促した。
「――聞いたんでしょ。あのこと」
「……ああ、知ってるよ」
確証を得たユウキはいたずらっぽい笑みを浮かべる。キリトはガリガリ頭をかいた。
「ふふっ、やっぱり」
「悪かったな、隠すつもりはなかったんだけど……」
「別にいいよ。だって、アスナには言ってないでしょ?」
「もちろん」
ユウキは大きな樹の外周をぐるりと歩き始めた。キリトもそれに倣い、黙ってついていく。半分くらい外周を回ったところで、ユウキは小石を蹴り上げる動作をして口をひらいた。
「――キリト、ありがとう」
「え?」
「君はあの時はぐらかしたけど……、やっぱり、さ。ボクのこと、色々気を使ってくれてたんだよね?」
あの時というのは、期末テスト前の出来事のことだろう。ユウキと会うために、俺との時間を減らし、大層負い目を感じてたアスナの顔が浮かぶ。
「感謝してるんだ。最後に、アスナたちから素敵な思い出がもらえて。キリトにはちゃんと、お礼を言う機会がなかったから……」
うつむいた瞳に暗い影が落とされたような気がして、キリトはなるべく明るくふるまった。
「――気なんか使ってないよ。あれは俺の意志であり、アスナの意志さ」
「うっ、強情だなぁ……」
「それはユウキにだけは言われたくないな」
二人は顔を見合わせて、少し笑った。仮想世界の風が、ひらひらと舞う花弁をさらっていく。
「――ねえ、もしも、さ。ボクがいなくなったら。アスナに、伝えてほしいことが、あるんだけど」
明るい口調で言われた重い言葉に、キリトは胸がつかえる。
ユウキの姿を、月光が眩しく照らしていた。
「…………自分で伝えろよ」
なんとか絞りだした声は、自分でも驚くほどかすれていた。
「ムリだよ!!」
ユウキは叫んだ。声はアルブヘイムの満天の星空に吸い込まれ、消えていく。
「そんなこと言ったら、ボク、きっとまた願っちゃう。神さま、もう少しだけ、ボクに時間をくださいって――。でも、それは許されない。許されないんだよ――……!」
空を見上げながらまくしたてるユウキ。
キリトにはわかっていた。あれは星空を眺めているんじゃない。こぼれそうになる涙を必死にせき止めているのだ。
ユウキの頬を一筋の涙が流れた。キリトはその涙を、見なかったことにする。
苦しそうに、しかし語気は明るくユウキは続けた。
「それに、アスナの泣き顔は、見たくないんだ。ボク、出来るだけアスナに笑っていてほしいからさ……」
いつもはお日様みたいなユウキの笑顔も、今は曇り、蔭っていた。キリトはその様子から悟る。
ユウキはおそらく気がついているのだ。流れていく時が容赦なく、自分をさらっていってしまうことに。まるで、空高く舞い上がった花弁のように、もう二度と同じ場所に還ってこないことに。
その覚悟を、彼女の涙を、無下にするわけにはいかないだろう。
「――わかった。君の代わりに、伝える」
「約束、だよ」
「――ああ。約束だ」
二人は契りを交わした。必ずこの言葉を届けると。
互いの剣を交差させる。
じゃりいぃぃん!
黒と紫の剣が小気味よい音を立てた。
それは剣士と剣士の、誓い立て。
ユウキが亡くなる、三日前のことだった――。

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