おにごっこ - 2/3

空色の天蓋を仰ぎ見て、アスナは顔のほてりを冷ましていた。正確には過剰な感情エフェクトが切れ顔の赤みが引くのを待っていた。

(うぅ……ちょっと調子に乗りすぎたかも……)
先ほどの大胆な行動を思い出して、アスナは独り悶絶した。
キリトといると、人生におけるどんな時よりもはしゃいでしまう。それは、この甘い新婚生活が始まってからひしひしと感じていた。彼に甘えたり、子供みたいになって一緒に遊んだりするのが楽しい。物心ついた時から勉強漬けだったアスナにとって、キリトとの時間はとても新鮮で、甘美で、そしてきらきらしていた。

――そんな思いから、なんとなく口をついた遊戯の王道『鬼ごっこ』。
子供の遊びであるはずのそれは、アスナの発案によって大人の遊びと化した。
すーはーと呼吸を整える。いくら走っても肉体的な疲労は伴わないSAO内では、この動作は自らの精神を落ち着けるのみとして機能している。

鬼の交代はタッチではなくキスで――――。
自分から言い出しておいてなんだが、恥ずかしい。でも、鬼交替の時がちょっとだけ楽しみかも……と考えてしまったアスナは慌てて心中で言い訳した。

(ち、ちがうもん! えっと……そう!これは作戦なんだから!)
今頃キリトもこのルールに大いに狼狽しているに違いない。その隙をついて、わたしは陽が落ちるまで逃げ切ってみせるわ!
さっと森の木陰に隠れて索敵スキルをセット。だがこれは、索敵や隠蔽といったこそこそしたスキル(ソロプレイヤーには欠かせないスキルと彼は言い張ってたが)の熟練度が馬鹿高いキリトにはさして効果はないだろうと予想はしていたので、システム外スキル《気配探知》のみで、彼の急襲に対応できるように身構える。

がさり。
木々が何らかの動的オブジェクトによって揺らめくサウンド音。アスナは息を殺して、音の気配を探った。

「キィーッ」
視界に映らなくても鳴き声でわかる。あれは《シルバン・ラビット》、この森によくPOPしているモンスターだ。素早いがあまり攻撃をしてこないのでスルーしてしまっても問題ない。たしか一時期、極稀にレアドロップを落とすという噂が流行り、中層プレイヤーが狩りにやっきになっていたらしいが、すぐにデマっぽいとわかると誰も相手にしなくなったそうだ。

「キキッ」
ガサガサっとどこかに消えてゆく。その音に混じってもう一つ、何かが動く気配がした。気づいていないふりをして、慎重に、その『何か』の出方を待つ。

「そこっ!」
回避。飛び前転からのバク転をして、すとっと軽やかな着地を決める。アスナはすぐに体制を整え、

「さすがね、キリト君。もうわたしを見つけるなんて……」
不敵な笑みを引っさげた黒衣の少年――キリトを見つめた。
まだ開始からほんの数分しか経っていないはずだが、その卓越した洞察力には毎度のことながら舌を巻く思いである。

「いやいや、俺としてはあそこでアスナを捕まえる気だったんだけどさ。やっぱ《閃光》の名は伊達じゃないな」
頭を掻きつつも黒曜石のような瞳はまだぎらぎらとアスナをとらえている。

ひゅおおおお、と風が木の葉をさらっていく。暫しの沈黙。木々だけが愛し合う二人の闘いを目撃していた。
先にイニシアチブをとったのは――アスナだった。先手必勝といわんがばかりに余裕の笑みを浮かべて駈け出す。
――幾らキリト君といっても、このスピードについてこられるかしら?!
剣の速さと正確さにはキリトにも劣らないアスナである。それに、最適な逃げ道を確保し素早く退却出来るようにするのも攻略組の務めだ。

(逃げ切れる!)

――しかし。アスナは逃げ込んだ先に待ち受けていたものを見て、驚愕のあまり戦慄した。

「な――……!」

なんとそこには、見覚えのある大量の小さな布装備――要するに下着――が、オブジェクト化して散乱していたのである。こんもりといった風に積まれているそれらは、もれなくすべてアスナの所持品であった。
大自然の森の中にふさわしくないその光景に、羞恥のあまり絶叫した。

「や―――――っ!! き、き、キリト君――――!!」
こんなこと出来るのは一人しかいない。張本人であるその名を呼べば、悪びれもせずにひょっこりと後ろから顔を出した。

「いやあ、アスナを捕まえるには俺のAGIじゃ心許なくて……」
可愛らしく笑っているが、全然、笑えない。もし誰かに見られたり、拾われたりしたらどうするつもりなのか。大体あの中にはまだキリトも見ぬとっておきのプレイヤーメイド勝負下着もあったりするわけで、先に見られたら楽しみ半減……。
――――じゃなくて!!

「――ストレージ共通化はこういうコトするためにあるんじゃないよ――――!!」
「あっはっはー、実にプラグマティックなシステムだよなー。うん」
「意味わかって言ってるのキリト君――!?」
半ば泣き叫ぶようにキリトを叱責するアスナ。恥ずかしさのあまりぺたんと地面に座り込む。――と、そこでキリトが下着群に近づき、件の勝負下着をつまみあげようとしたものだからたまったものじゃない。急いでストレージにオブジェクト化された下着を閃光の如き素早さで戻していく。
だがキリトはそんなアスナに構うことなく、背後から近寄りきゅっと抱きしめた。

「――つかまえた」
「む……」
その声に、どきりとしなかったと言ったら嘘になる。それでもなんだか悔しくて、アスナはふいとそっぽを向いた。

「こっち向いて、アスナ……」
キリトの節くれだった指が、唇をすぅーっとなぞり、頤から首へと滑っていく。

「…………や…………」
キリトの腕の中でびく、びくと体が跳ねる。キリトはそんなアスナの様子を楽しんでいるようで、夢中で体を弄り続けた。アスナを焦らすように、少しずつ指を動かし、舐めるように体をまさぐる。身をよじって防御しても、すぐさま別の急所を狙われてしまう。アスナの瞳には涙すら滲んできた。だが、それは不快感ゆえではなく、欲求不満を表すものだった。

――足りない。もっと、キリト君を、感じたい。

「キス……して……?」
耐え切れなくなったアスナは無意識にそんなことを口にしていた。
恍惚とする意識の中、後ろを振り向けば黒曜石のような瞳とかちりと目が合う。その眼がいたずらっぽく細められた瞬間、――キリトはアスナの唇を貪った。

「……はっ、……ぅん……」
「ん……」

すっかりとろけた表情でぼうっとキリトを見上げ、離された唇の距離を再び近づけようとする。
だがキリトはそれに応えることなくアスナを解放した。

――なぜこのタイミングで。
あと十回は口付ける気満々だったアスナは不満を抱き、いじけた瞳でキリトを見上げる。すると、

「――じゃあ、次はアスナが鬼な」

にやり。してやったりという、笑顔。
「十秒数えて」と耳元で低く囁くと、風のようにひらりと消えてしまった。

「~~~~~~っ!!」
――やられた。まんまと彼に弄ばれてしまった。
確かにうっかり途中からかくれんぼのことなど忘却の彼方だった。キリトに夢中になりすぎて……と考えると、アスナの顔は真っ赤に染め上がる。
――悔しい。これでは色んな意味でわたしの負けではないか。
フラストレーションだけいっぱい溜めさせられたアスナは必ず逆襲せんと、拳を握って立ち上がった。

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