おにごっこ - 3/3

 

 「少し苛めすぎたかな……」
 遥か奥に見える夕焼けを見つめて、キリトはほうとつぶやいた。
 アスナの反応が面白くて、ついついあの手この手で彼女を弄ってしまった。別れ際に見せた怒り顔を思い出す。する と、罪悪感よりも先に愛おしさがこみ上げてきて、思わず苦笑した。
 キリトはアスナと鬼を交替したところから離れ、一本の高い樹の上にいた。
 かねてよりここに群生している樹は登れるのだろうか、といった好奇心が燻っていたので、鬼ごっことは関係なく挑戦してみると、案外簡単に登れた。多少《軽業》スキルがあった方がいい気もするし、何より落ちたら危ないので、範囲としてはグレーゾーンな気がしないでもない。しかし、彼女と確認したルールの中に『木に登ってはいけない』というルールはなかったではないか……と、キリトは今から言い訳の言葉を準備して、アスナの急襲を待ち構えていた。
 ところが。

「来ないな…………」
 索敵警報もならないし、気配もない。もう既に陽は傾き始めていて、外周の向こう側に広がる空は夕闇に染まっている。刻限まであと二、三十分といったところだろうか。キリトはいつになく時間を持て余していた。
 暇だから、といってアインクラッドでは携帯端末が弄れるわけではない。ならば惰眠を貪りたいところだが、落ちたら危ないので昼寝も出来ない。結局キリトはぼけぇーっとしたままひたすら空を眺め続けることしか出来なかった。
 そろそろアスナに飢えてきたな、と思った、その時――。
 
「キ――リトく――――んっ!!」
 
 ――え?
 声のする方に視線を彷徨わせると、遥か遠くの樹上で笑顔で手を振るアスナの姿。俺はその姿を認めると、鬼ごっこのことを忘れてほっとしてしまった。
 もうすぐ陽も落ちるし、彼女のキスを甘んじて受け入れて、家に帰ろう。
 その決心のもと行動し、逃げずにじっとアスナが来るのを待っていた。

「きゃあッ――――!?」

 アスナが足を滑らせ、姿が見えなくなるその時までは。

「――アスナッ!」
 悲鳴に近い声で叫ぶ。
 キリトは流れるように樹から滑り下り、敏捷値最大をも上回るスピードで一気に森の中を駆け抜けた。
 あの高さから落ちたとしてもアスナなら受け身が取れるだろう。しかし、万が一、強固な防具をなにも身に着けずにモロにダメージをくらっていたら――……と思うと、キリトの心は凍てついた。

「――くっ……間に合ってくれよ……!」

 落下するアスナを認め、限界を超えた速度がさらに上がった。そしてぎりぎりのところで、なんとか彼女をキャッチする。安心したキリトは、腕の中の華奢な体を抱き竦めた。
 ぎゅっ。

 ……あれ?
 抱き締め返されるかと思ったら、アスナは俺の手首にちょっと触れただけだった。いや、触れただけ、ではない。手首に何かを巻き付けたようだ。なんだろう。細長い、紐のようなものか……。錯覚であることを信じて、恐る恐る確認してみると――。

「ふふ……ゴメンね、キリト君」
 優しげな笑み。それとは対照的な不穏な言葉。そして俺の手首に巻き付いた蔓上の手枷。怪しげな状況に眉がぴくぴくっと歪む。
 アスナはするりとキリトの腕から抜け出すと、次いで勢いよく彼の薄い胸板を押した。

「わっ」
 どてっと尻餅をついたキリトを、にこにこと覗き込んでいる。両手を縛る紐は固く結んであるというわけではなさそうなのだが、かといって左右に引っ張ってみても簡単にほどけるものでもない。そう言えばどっかの蔓状のモンスターがこの手のアイテムを大量にドロップしたはずだが、ここまで耐久値はなかったはずだな…と思考がトリップしかけて慌てて引き戻す。
 これは一体どういうことだろうか。というか、そもそもなぜ俺はアスナに拘束されねばならぬのだろうか。

「えーと、アスナ、さん?これは……」
 おそらくかなり引きつった表情で、おずおずと切り出してみると

「てへへ。キリト君を捕まえてみました!」
 舌をぺろっと出してはにかむアスナ。可愛い。すごく可愛いんだけど、ちょっと一旦落ち着こう。
 『捕まえてみました』?
 ど、どういうことですか、それは………。
 色々聞きたい事項を脳内処理出来ずに停止していると、アスナが恥ずかしそうに説明してくれた。

「だって、キリト君があんまりにもイジワルだから……。復讐してあげようと思って。それ、一応レアドロップなんだよ? キリト君の筋力パラメータでも、外すのに一分は掛かるかな。偶然売り忘れてたんだけど、こんなところで役に立ってよかったね」
 にこにこと笑うアスナ。純粋無垢な笑顔がここまで怖いものだとは知らなかった。俺はまた一つ、新たな世界を知ったのだと、ひたすら自分に言い聞かせる。

「えいっ」
 アスナが不意に俺の耳を食んだ。柔らかな舌の感触に全身がぶるりと震える。

「うぁ……」
 途端、凄まじいほどの快感電磁パルスが俺を貫く。
 これは、抵抗しなくてはまずい。
 そう脳内で警報が鳴り、必死で体をよじる。しかし、手が使えないのはあまりに不利だった。アスナはそんな俺を軽々と押さえつけ、

「だめだよ、キリト君」
 しーっと俺の唇に人差し指を押し当てた。
 下から見上げるアスナもまた扇情的で、こんな状況だというのに、いや、だからこそ、か。俺はアスナの綺麗な栗色の髪や整った顔をまじまじと見つめてしまった。

「だって……俺も、アスナにさわりたいし……」
 少々素直すぎる欲求をぶつけると、アスナは一瞬虚を突かれたようだったが、すぐに破顔した。

「いけません」
 もふっと顔を覆う好ましい柔らかな感触。それが何なのかわかるまでに俺は数秒を要した。彼女からこんな行動をとってくるとは珍しい。
 キリトはこの現状を手放しで喜ぶべきなのか、それとも理性を総動員させて紳士に対応すべきなのかわからなくなって大いに当惑した。

「んんー……」
 結果、選択肢を絞り切れずにひたすら固まっていると、完全に主導権を握って満足げなフェンサー様が俺の唇をぺろりと舐めた。

「!?」
「キリト君、顔真っ赤だよー?」
 くすくすとおかしそうにアスナが笑う。そりゃ、こんなに魅惑的なアスナにそんなことされたらそうなるよ…………と思ったら、今度はキスの雨が降ってきた。
 おでこ、鼻、瞼、首、鎖骨……と唇が痕を残していく。アスナの桜色の唇が俺の肌に触れた瞬間、そこが燃えるように熱くなる。意識が朦朧としたきたころに、ようやくアスナは優しく微笑んで唇にキスをした。
 パリン、とガラスが割れるようなオブジェクト破壊音が鳴り響いて、手枷が外れる。アスナは満足げなヘイゼルの瞳をキリトに向けた。

「はいっ!キリト君の負け!」
「なぬっ!?」
 へとへとになった体を起こすと、確かに陽は暮れていた。だけど、もうかくれんぼの勝ち負けなんてどうでもよくなっていた。果てしなく疲れた……。

「アスナ…………」
「なに?」
 アスナは慈母のような穏やかな笑みを湛えている。栗色の髪の毛が黄金に照り輝いて眩しい。そんな彼女に救いを求めるように、俺は手を伸ばした。

「……俺、アスナがホントに落ちたと思って、すごく怖かったんだからな……」

 もうあんなことしないでくれよ……と、不安を吐露すれば、アスナは俺の手を優しく包み込んだ。

「うん…………ごめんね………」
 何度も手の甲を撫でつける。

「……じゃあキリト君」
「ん?」
「もうああいうことしないから、さ……キリト君も、わたしの『お願い』聞いてくれる?」

 そういやそんなこと言ってたっけ、と記憶を手繰っているうちに、アスナが俺のほっぺたにちゅっとキスをした。

「ずっとわたしのそばにいてね」

初出:2015年2月26日

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