繋いだ手、慰め合うように

媚薬ネタだけどR指定なし。

 

 あのとき、君に好きだと伝えられていたら。
 いまとは違う未来が、あったのだろうか。


 バタン、ガチャリ。

「はあ〜〜〜〜〜〜……」

 扉を施錠し、ふたり同時に息をつく。
 フィールドを探索中、まるでバケツをひっくり返したかのような大雨に見舞われた俺とアスナは、偶然見つけた小屋に転がり込んだ。アインクラッドに閉じ込められてから毎日のように外に出ているが、これほどの大雨は初めてだ。装備は水を含み、すっかり重たくなっている。アスナは長い髪をギュッと絞り、フーデッドケープを除装した。

「ふー、すごい雨。早く止むといいわね……」
「だな……。これじゃさすがに戦闘はムリだ。まあ、通り雨……だろう……たぶん、きっと……」

 暫定パートナーのアスナ嬢は俺の希望的推測にクスッと微笑むと、小屋の中を見回した。
 よくある小さな作りの木造の小屋は、NPCもいなければ宝箱的なものが隠されている気配もない。一応ひととおり探索してみたものの、トラップもなさそうだ。

「仕方ないわ、雨がおさまるまではここで休ませてもらいましょ」
「賛成」

 アスナはそう判断すると、二人がけのぼろソファに腰掛けた。コンビを組んでひと月経つが、トラブルが起きたとき彼女の反応は至って冷静だ。
 密室にふたりきりというこの状況で、彼女の隣に座る豪胆さを持ち合わせていない俺は(無論それ以上の事故が起きたりもしているのだが)、すすっと二メートルほど距離のあるベッドに座ろうとしてシーツの上に無造作にころがっている、桃色の小瓶を発見した。
「? なんだこれ。ポーション……にしては、色が禍々しいな」
 以前飲んだ、顔が真っ赤になるシードルを思い出すが、あれよりも液体の色は怪しげなピンク色で、あまり健康的な飲み物には見えない。
ひょこっとやってきたアスナが訝し気に瓶の中身をのぞき込む。

「……ど、毒じゃないわよね……」
「……たぶん……」

 怪しみながらもきゅぽっと栓を抜くと、ふわりと甘い、バラのような香りが漂う。俺は試しに瓶に口をつけてみた。

「ち、ちょっと……!」
「うーん、味は意外とフルーティだなあ」
「あのねえ、ほんとうに毒が入ってたらどうするのよ!」
「大丈夫、毒でもさすがに即死はしないよ。それにどうせやることもないんだ。こういうタイミングで効果を確認しとけば、次見つけたとき困らないだろ」

 アスナは一応納得したのかそれ以上追及しなかったが、「でもあぶないことは禁止」とむくれた。内心、もし危険な液体だったらいま確かめないと次アスナに危険が及んだら嫌だから――と考えたのだが、それを伝えると百バー怒られるので黙っておく。
 数秒経ってもデバフアイコンが点灯する気配はない。
「ん、危険はないかな……アスナも飲む?」
 冗談めかして俺が瓶を差し出すと、なぜか顔を赤らめたアスナが「のーみーまーせーんー!」と叫んだ――その瞬間。
「……っ……!?」
 ビリビリッと全身を電流が駆け巡るような衝撃が走った。続いてくらくらと脳がゆさぶられるような酩酊感。SAOで――いや、現実世界でも、あまり体験したことのない感覚。

「キリトくん!?」

 俺が胸を押さえて呻いたので、アスナも慌てたようだ。栗色の髪が揺れる様子が視界に入る。パリンと瓶が床に落ちて消滅した
 ドクンと心臓が跳ね、身体の芯がじわじわと熱くなってくる。息をきらしながらステータスを確認するが、やはりデバフアイコンはついていない。しかし、何かがおかしいのははっきりとわかる。アスナに視線を向けると、はしばみ色の瞳を潤ませていた。
 彼女が俺に向かって心配そうに手を差し伸べる。俺はその手をとっさに握り返し、そして――

「――ッ……アスナ……」

 ぐいっと。
 なぜかそのままアスナを引き寄せて、自分の腕のなかに閉じ込めていた。
 本当に一瞬の出来事だった。
 まるで自分の意志とは別に、勝手にアバターが操作されているような感覚。
 びくりとアスナが身を固くして、びっくりするくらい近づいた顔をわずかに動かした。身長が同じくらいなので、目も鼻も――唇さえも触れ合う距離になる。互いの息の音がはっきりと聞こえた。

 昼間なのに薄暗い部屋で、ふたりだけが世界に取り残されたかのようだった。外では雨音がいっそう激しくなっている。俺の鼓動もそれに合わせるかのようにドク、ドクと早まっていく。
 これ以上は危険だと理性が警鐘を鳴らす。しかし身体は言うことを聞かず、俺は抗いがたい欲求に身を任せてアスナを抱きしめる力を強めた。途端、やわらかなふくらみが押し付けられる感触が伝わる。

「…………っ!」

 アスナが喘ぐように小さく息を漏らす。その仕草に、声に、全神経が集中してしまい、さらに呼吸が浅くなる。

「……は……アス、ナ……」

 自分でもびっくりするほど掠れた、へんな声が出た。恥ずかしくて、でも心地よくて。耳元で囁いたからか、彼女もびくっと肩を震わせる。

「き、りとく……」

 潤んだ瞳が、俺を映す。
 瞬間、「もっとさわりたい」と思った。その欲望はひどく直截的で、俺を困惑させる。
いままでだって、何度も――事故のようなカタチで、あるいは不可抗力で、お互いに触れ合ってしまう機会はあった。それは周りにどう言われようと単なるアクシデントであり、それ以上の意味などない。
 なのに、こんな何でもないタイミングで自分から彼女に触れてしまったら、それではまるで――“そういう関係”みたいではないか?
 違う、誤解だ。俺は浮かんだ可能性をとっさに否定する。
 あの液体のせいだ。あれが俺の中の何かを狂わせた。まるで決壊したダムみたいに、ごうごうととめどなく何かが溢れ出す。
 必死で欲求を抑えようと衝動の行き場を探した俺は、とっさにアスナの指に自分ものを絡ませた。バフ供給のためじゃない。もっと別の意味をもつ、なにかのために。アスナは抵抗しなかった。たったそれだけで、繋がれた部分の温度は上昇する。俺はアスナ以外のことは考えられなくなり、意識が霞んでいく。

「きりと、くん……」
「アスナ――……」

 熱い息を吐いて、名前を呼んだ刹那。

 ――ピシャァン!!

 薄暗かった部屋が白く照らされる。雷が近くに落ちた音。
 瞬間、俺の脳にもピシャッと冷水が打たれた。宙ぶらりんだった意識が一気に冷却され、現実に引き戻されていく。

「……ッ!!」
 俺は飛び跳ねるようにアスナから離れた。アスナは潤ませていた瞳をぱちぱちと瞬かせ、数秒後薄暗い部屋の中でもわかるほどに顔を赤らめた。

「…………」
「…………」

 気まずい沈黙。
 改めて状況を確認すると、なんというか……ひどい有様だった。
 俺とアスナは、互いに息を切らしながらベッドの上で密着しているという体勢になっていたのだ。そしてそんな有様を作り出したのは、言わずもがな突然不埒な行いをした俺である。
 100%セクハラ案件でアウトなこの状況に、なんでハラスメントコードが機能しないんだ! とポンコツなシステムを呪いながら俺は謝罪を口にした。

「ご、ごめん! ……その……」 

 あの妙な薬のせいでおかしなことに、と一瞬小瓶の液体に罪を擦り付けかけたが、アスナの忠告を無視してそれを飲んだのは俺なので、やはり情状酌量の余地はない。
 とりあえず反省の意をこめてもっと距離をとろうとすると、なぜかまだ指だけはがっちりと絡めあっていたことに気づいた。慌てて引き抜こうとするが、アスナはその手を離そうとはしなかった。

「あす……な、さん?」

 呼びかけても返事は返ってこない。雷が遠くに落ちる音を意識のどこかで知覚しながら、俺はうつむくアスナを見つめる。

 ――アスナのことを考えると、いつも少しだけ苦しい。暫定パートナーのはずの彼女の存在は今やこの世界を生きていくうえで非常に大きく、かけがえのないものになっている。だが、彼女を大切に思えば思うほど、なぜか不安も大きくなっていくのだ。この大きくて不明な感情が形になってはいけない。繋がれたままの手の温かさに、期待をしてはいけない。だからいっそ「バカ!」と叫んで謎フルーツを投げつけたりしてくれれば、何事もなかったかのように“いつも通り”に戻れるのに。
 永遠にも思えた数秒ののち、栗色の髪からわずかに見える薄い唇が震え、アスナは消え入りそうな音を紡いだ。

「ばか……」

 叶えられたその言葉は、しかし想像よりもずいぶんと小さかった。
 栗色の髪から覗くはしばみ色の瞳には、涙が溜まっているように見える。それがどんな意味を持つのか、俺は知らない。でも。

「あのね…………」
 この世界はひとりで生きるには心細すぎるから、――不埒な行為の償いとして、いまはもう少しだけこの少女の望むままに。

「……雷、こわいから……もうちょっとだけ、こうさせて」
 きゅ。わずかな力が入り、俺の指を締め付けるアスナのそれを。

「…………うん」
 俺は、自分の意思で握り返す。
 遠くで雷鳴が聞こえる。雨はまだ止まない。

 

 俺とアスナは互いの奥底に秘めた「好き」の形を見つけられないまま、雨の日を過ごした。

初出:2018年9月30日

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