雨宿り - 1/2

 雨だ。
 バケツをひっくり返したような、雨。
 雨にも五月雨とか時雨とかにわか雨とかいろんな種類があるが、これは一般的に「ゲリラ豪雨」と呼ばれ忌避されているやつだった。
 ゲリラ豪雨――積乱雲の発生による突発的で、局地的な大雨。非常に予想困難で、発生時期が夏ってことしかわからない。いきなり降り出してすぐやむけど強力なことが多い、エンカウントしてしまうとやっかいな相手だった。
 「やまないねぇ……」
 隣の髪が濡れてぺったんこになった明日奈が、曇天の空を仰ぎ見てほぅっと嘆息した。
 そう。俺たちは二人そろって、移動するための必需装備である<傘>を持っていなかったのである。

 悪魔の行事期末テストを明日奈は難なく、俺がひいこら言いながらようやく乗り切り、授業は半ドンが増え夏休みが間近に迫っていた。変則的になったお互いの時間割を照らし合わせて放課後デートを楽しみ、明日奈の門限である六時が近づいた頃。もう少し一緒にいたかった俺は家まで送ると言い張り、世田谷の地を二人で歩いた。今の時期は六時になっても辺りは全然明るい。
 ――と思っていたら、突然雨音が聞こえて一気に黒い雲が押し寄せてきた。俺たちは大慌てで、近くの民家二階の窓に備え付けられてたオーニングの下に避難したのだった。
 時刻は午後五時五十分。明日奈は不安げに空を見つめていた。無理もない。明日奈の家まではおそらくここからだと五分以上はかかる。彼女の母上はそれはそれは厳しい人で、門限破りなどは許されない。
 また、俺のことがあまりよく思われていないことは明日奈の入院時から察していた。故に「キリト君と遊んでたら遅くなっちゃった☆」的な言い訳もアウトだ(明日奈が明日奈母とここまでくだけた会話をするのかは謎)。時間にだらしない男という烙印が押されかねない。
 さて、どうしたものか。
 いっそのことずぶ濡れになって二人で走るか。
 そんな投げやりな提案が浮かんできて明日奈に向きなおると、明日奈も俺を見つめていた。だが目は合っていない。口から胸板周辺をじーっと観察されている気がする。
 なんだ……?
 明日奈に倣って、俺も彼女を観察することにする。いつも通りのの整った美しい顔、白くほっそりした首、真っ赤なリボン、ブラウス……と視線を移動させたところで、俺は目をむいた。
 ――す、透けてる!!

 今は夏だ。自明だ。ブレザーなんて暑苦しい装備はとうの昔に捨て去り、明日奈は真っ白な半袖ブラウスに真っ赤な学校指定リボン、濃紺のプリーツスカートという出で立ちでいらっしゃった。明日奈は元来のまじめな性格からまったく制服を着崩さない。故に「開いた胸元からキャミソール又は下着が見える」といった無防備なことは起きようがなかった。俺的には大いに安心できた。
 しかし、今は……。
 白いブラウスには彼女の肌と下着の海色がしっかりと透けている。しかも肌と布にぺたりと張り付いるので、割とその……、双丘の形がはっきりわかってしまう。さらにさらに、片方ひもが肩からずれ落ちている。正直、すごく危ない。かなり不健全な色気を醸し出していた。
 SAOでも<服が透ける感じ>はβテスト時に比べてまあまあ再現されていたが、もともとナーブギアは水の表現が苦手だからここまでの情報がインプットされるのは俺にとって初めてのことだ。しっかりと目に焼き付けておきたい衝動と、見てはいけないものをみている気がしてうつむきたい気持ちがせめぎ合う。
というかこういうことは、本人に言ってあげたほうがいいのか、よくないのか。
 ――言ったほうがいい、はずだ。
 そう判断し恐る恐る明日奈の顔を伺うと、はしばみ色の瞳はぼうっと惚けていた。なぜか照れたように小さく笑っている。謎だ。だが、わけを問おうとする前に事態は急転した。
 ザアアアアと降りしきる轟音のなかに、ばしゃばしゃと走る水音があったのだ。振り返ると、傘を持たずに走ってくる男の姿。仕事帰りのサラリーマンだろうか。どうやら雨宿りできる場所を探しているようで、俺たちのいるオーニングを認めるとずんずん進行してきた。 
 確かに、スペースは一人分以上は十分にある。
 しかし、この明日奈の姿を他の男に見せるのは……。
 ――全くもって、よろしくない。
 「…………んっ……」
 思考が先だったのか、行動が先だったのか。
 事態を阻止すべく、俺は予備動作なしでいきなり明日奈にキスをした。びっくりして身を引こうとする肩を掴み、背中の濡れた部分を髪で隠せるよう調整しながら器用に抱きしめる。唇からわずかに抵抗の声が漏れた。
 「む……キリト、……くんっ……」
 リーマン風の男は感じる気配だけでも明らかに戸惑っていた。そりゃあそうだろう。俺も逆の立場だったら相当困惑する。そして最終的に、邪魔するのは悪いという結論に達して、そっと踵を返す。じきに彼も同様の結論に達するだろう。濡れ鼠で長いことさまよってたなか申し訳ないが、明日奈の透けた制服姿は俺だけのものだ。
 水音が退散するのを待って、俺はやっと唇を離した。たぶん、今月一番長いキスだった。
 「んぅ……キリト君、どしたの?」
 「な、なんでもない」
 もちろん何でもあるんだけど、なんでもないのにいきなりキスなんてしないけど、「明日奈のあられもない姿を他の男に見せたくなかったんだ!」とか言えないので小刻みに首をふるふる振ってごまかす。明日奈は煮え切らないといった表情で首を傾げた。
 俺は自分の不埒な思考を読まれぬよう急カーブで話題転換した。
 「あ、明日奈! それより時間は?平気なのか?」
 「うん。傘もってなかったって言う。たぶん言い訳しない!って怒られちゃうけど」
 「う……ごめん、もうちょっと早い電車に乗ってれば……」
 「キリト君のせいじゃないよー」
 ほわりと陽だまりのような笑顔を見せる明日奈。彼女の笑顔はいつも天候パラメータに左右されずに輝いている。出来ればこの笑顔を曇らせたくない。なんとか門限までに家に帰してやりたい。胸に湧いた願いが、俺にある情報を思い出させた。
 すぐそこの角を曲がってまっすぐ行ったところに、確かコンビニがあったはずだ。そこでビニール傘を入手できれば、彼女はこれ以上濡れずに帰宅出来るかもしれない。時間が間に合うかは、結構微妙なところだけど。でもここでずっと待っていても何も変わらない。
 壮大な決心の末、俺は明日奈に提案した。
 「俺、そこのコンビニで傘買ってこようか?」
 なかなかに紳士的かつ実際的な計画だと思ったのだが、明日奈は目をぱちくりさせ、
 「だめ」
 と笑顔で一蹴した。
 「な……なんで……」
 俺はちょっとたじろいで尋ねる。なんだか明日奈の笑顔が怖い。
 「だめだから」
 「こ、答えになってないよう……」
 「キリト君が……」
 「え?」
 「キリト君が行くくらいなら、私が行くもん」
 「えぇっ?」
 言い捨てて本当に雨の中につっこんでいこうとするものだから、俺は慌てて細い腰につかまり必死に制止した。
 冗談ではない。明日奈が雨でびしょびしょに濡れた姿で天下の往来であるコンビニなんぞに入れば、店員や客は感激のあまり卒倒してしまうだろう。店内は鼻血で溢れかえり、鉄分欠乏症で人々が死にかねない。今でも約一名が相当やばいのに。
 「だ……ダメ、絶対」
 たばこの標語のようなセリフとともにホールド。どうにか明日奈と向かい合う。
 狭いスペースで揉みあったために、明日奈の着衣は乱れてさらに大変なことになっていた。だが、もはやそれを楽しめる余裕はない。俺は意を決した。
 「明日奈」
 最大級にまじめな顔でようやく
 「すけてる」
 の一言が言えた。
 「え?」
 明日奈は数秒のタイムラグの後、自分のブラウスの惨状を確認して、赤面した。慌てて乱れを直すが、濡れた布はそう簡単には乾かないので状態はあまり変わってない。わずかな混乱の末、胸のあたりで腕を交差させ、キッと睨みつけられる。
 俺は知っていた。彼女が羞恥を隠すためにする、次の行動を……。
 「そ、そういうことは早く言ってよ! キリト君のばかぁ――――っ!!」

 雨は、その言葉が合図だったかのようにぴたりとやんだのだった。

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