もこもこでふわふわなふたり

 もこ……
 アバターに伝わるふんわりとした、けれど確かな圧迫感に寝苦しさを覚えて目が覚める。
 カルルインの街に聳える古城で謎の黒ポンチョの男に襲われて数日。俺は半強制的に暫定パートナーのアスナと同室のスイートに宿泊するようになっていた。もちろん寝室は別々なので、天幕のときのように《国境》を侵犯する恐れはないはずなのだが、今日はなぜか嫌な予感がして寝ぼけ眼を覚醒させる。
 結論から言うと、俺の直感は当たっていた。ただし、事態はあまりにも想像を超えていたが。
「……きりと、くん……!」
「アスナ? …………え?」
 瞼を持ち上げると、一面の白が視界を覆う。
 三百六十度どこを見ても、白、白、白。もふもふの白で埋め尽くされていた。そして、白は身動きが取れないほどに俺たちを圧迫している。部屋の家具も、横たわっていたはずのベッドですら形を視認することは難しい。おそらくドア付近にいるアスナの姿も当然見えず、か細く声が聞こえるばかりだ。
 遠いアスナの声を探しながら、俺は自分の身に降りかかった出来事が一ミリも理解できずにいた。
「…………なにこれ?」
 白の正体は、綿のようであった。そういえばストレージに、そんな素材アイテムがドロップしていたことを思い出す。昨日整理するために出してそのままになっていたのかもしれない。しかし、さすがにここまでの量はなかったはずだ。
 もしかして、正月早々バグが発生しているのだろうか。以前リーテンが鉄の鉱脈で《無限湧きバグ》に遭遇したことを思い出す。状況を理解しようとするのならその可能性が最も高いだろう。SAO運営も正月休みをとって気が緩んでいたのかもしれない。もっとも、デスゲーム化したならせめてゲーム内でのプレイヤーの快適は保ってくれないと困るわけで、同情の余地はない。
「アスナ!」
 とりあえず、どうやらこのバグに巻き込まれてしまったらしい暫定パートナーの無事を確認する。すると先ほどより近いところから返事があった。
「き、キリトくん……っ、なんなのよ、これぇ……!」
「悪い、たぶん無限湧きバグだと思う……。修正されるまで、この綿はそのままかも……」
「ふぇぇ!? そうしたら、わたしたち、バグが修正されるまで、ずっとお部屋から出られないじゃない……!」
 せっかくPvPの特訓に付き合ってもらおうと思ったのに、とアスナはもがきながら文句を言った。俺としても、こんなしょうもないバグで貴重な一日を浪費したくない。
 声からして、アスナはこの綿を掻き分けて俺の近くに来ようとしてくれているのだろう。じっとしていても仕方ないので、俺も手で綿を掻き分けて、アスナを探す。
「くっ、アス、ナ……!」
「ふぅ……っ、キリト、くん……!」
 この綿、俺の寝室とリビングに侵食してもまだ増え続けているらしく、なかなかにみっちりもこもことしていて、かなり身体を動かしづらい。
 どうにか伸ばした右手が、やがて綿以外の何かの感触に触れた。もこ、よりはぷに、という感触の何かを思わず掴もうとすると、瞬間「ひゃあ!?」と甲高い悲鳴が上がる。
「ちょ、ちょっと……! どこ触ってるのよバカ!」
「ごごご、ごめんなさい!」
 本当のことを言えばドコを触ってしまったのか全くわからないのだが、紳士として深く謝罪し慌てて手を引っ込める。
 すると、行きどころを失った右手が、温かく柔らかな感触に包まれた。アスナの手が伸びてきたのだ。やや逡巡したのち、恐る恐るきゅっとその手を握り返す。今度はアスナも怒らなかった。
「…………で、どうしようか」
 ようやく気づいたが、アスナの近くに来たところで別に事態が好転するわけではない。これは運営のミスであり、運営が対処しなければ絶対に解消しないバグだ。だから俺たちのできることは、こうしてボンヤリと待つことくらいしかない。
「待つしかないわね」
 同じ結論に至ったらしいアスナが、不服そうにそう呟いた。
 もこもこに囚われてままならない身体はふわふわと宙ぶらりんで、俺たちは互いに繋がった一点だけが確かなものだとばかりに握りしめあった。そうすると、こんな状況であるにも関わらず心までもがぽわぽわと温かくなる。もしかしてこれもバグなのだろうか。湧き上がる感情は《無限》とは程遠いような気もしたが、同時に絶えることもないように思われた。
「困ったわね」
「困ったな」
 もこもこ。もこもこ。
 綿だらけの暫定コンビは、揃って小さくため息をついた。

 もこもこバグが修正されたのは、それから約三十分後のことだった。

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